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| 2006/1/19 |
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茨城県域の「大子町」「日立市」「水戸市」などの
周辺には、佐竹時代から水戸藩時代にかけての、
多くの「金山遺跡」があることが知られています。
その、茨城県内の金山遺跡についての
研究論文として、萩野谷悟氏の
「茨城の金山遺跡」 〜 領域の研究
(阿久津久先生還暦記念論集)
があります。
太郎山の地図 |
この太郎山(大子町)周辺には、
多くの金山遺跡が集中している ( 写 05.4.29 ) |
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| 「文献に現れた茨城の金山」 (上記論文の抜粋) |
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@古代
「続日本後紀」(836年)に
「八溝黄金神に・・・・・砂金を採得せしむ。その数常に倍し能く遣唐使の資を助け」たとある。
茨城周辺は産金の地として知られていたことがわかる。
A中世
九州名護屋城に出陣している佐竹義宣が、留守をあずかる宿老に対して、
軍資金を送るように指示する書状(1593年)には、
「大くほ」 「せや」
「ふうない」 「南郷」
「部垂」 「ひかし山」
などと、金山などの具体的な地名が示されている。
「南郷」(福島県東白川郡)以外は、茨城県内。
積極的に金山が開発された佐竹時代は産金量が多く、全国的にも有数の産金量を誇っていた。
天正19(1591年)、豊臣秀吉が全国の主だった金銀山を直轄とし、各大名に産金額の
1割の運上を納めさせたが、その額が、佐渡を領有していた上杉氏、陸奥の伊達氏に次いで
第3位となっていた。
B近世
関ヶ原の合戦の後、慶長7(1602年)に佐竹氏が移封となり、水戸徳川家がかわって支配
するようになる。
徳川家もまた金山経営に力をいれた。
光圀が積極的で、領内を巡視して開発を奨励している。
その後も黒川衆永田茂衛門、勘衛門親子を招いて開発にあたらせた。
この永田勘衛門が藩命で書き上げた「御領内御金山一巻」(1692年)には
「あぼつけ金山」 「高野銀山」
「武茂領之内(中野)竹部村、大山田郷、道下郷」
「保内之内塩沢金山」 「仏沢金山・九里宇金山・手小屋金山」
「国地金山」 「かぶれ石」
「町屋金山」 「金沢丑ノふミかき・びわのくき金山」
などと鉱山名や産出予測が記されている。 |
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| 2006_01_19 |
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これらの金山遺跡の位置について、
同論文に「主要金山位置図」が添付されています。
この位置図を、萩野谷悟氏の了解を得て、
紹介します 。 |
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| (参考) |
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1 木葉下金山 〜 水戸市木葉下町
2 有賀金山 〜 旧東茨城郡内原町
3 金沢金山 〜 日立市金沢
4 大久保金山 〜 日立市大久保
5 助川金山 〜 日立市助川
6 瀬谷金山 〜 常陸太田市(金沢・大久保と隣接)
7 町屋金山 〜 常陸太田市(黒川衆永田勘衛門も掘っている)
8 堂の沢金山 〜 大子町下津原
9 仏沢金山 〜 大子町頃藤(塩沢金山の峰を隔てて東側)
10 塩沢金山 〜 大子町大沢字塩沢(保内(大子)金山の中心的存在)
11 国地(小久慈)金山 〜 大子町大子
12 東山金山 〜 大子町下金沢
13 かぶれ(殕)石金山 〜 大子町上野宮(古代からの産金地である八溝山の山腹にある)
14 栃原金山 〜 大子町栃原(沢は手小屋沢であることから「手小屋金山」とおそらく同一)
15 久隆金山 〜 旧那珂郡山方町大字久隆(栃原金山の南に位置する)
16 熊久保金山 〜 旧那珂郡美和村
17 部垂 〜 旧那珂郡大宮町
これらの金山の他に、他の資料では、戦前の金山として、大沢川周辺に
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1 観世音金山
2 宝田金山
3 久城金山
戦後の金山としては、太郎山周辺に
1 日永金山
2 太郎山金山
などの金山名があがっています。 |
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仏 沢 金 山 |
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