●茨城の金山遺跡(5) 〜 木葉下金山(水戸市)     
2006/4/15 UP
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 佐竹氏、及び水戸徳川藩が支配していた
  茨城(常陸)の金山遺跡の一つの
   
      「木葉下金山」

  を、この遺跡などに詳しい、
  A津先生の案内で、訪ねてみた。
  
  水戸市が設置した
  史跡「木葉下金山」の標柱


  「木葉下」は、「あぼっけ」と読みます。
  A津先生の話では、この読み方は、アイヌ語に
  由来する説もあるとのこと。

  「木葉下金山」の遺跡は、
  常磐高速道水戸インターから、
  車で10分くらいに位置し、
  八溝山系に属する山地が接する地域。

 

        
    道順〜 
       常磐高速水戸インターを降りて、50号国道を笠間市方面へ。最初の加倉井町交差点を右折。
       4つ目の信号「金山交差点」(表示板なし交差点なので注意・右角が酒店)を右折。
        約500メートル先に史跡標柱が見えます。





  林道整備工事で切断されたあとの、
    
  「木葉下金山」の坑道




      上記の「木葉下金山」の坑道跡



 上記の「木葉下金山」の坑道跡の説明板


 この付近には、「木葉下金山」の坑道遺跡が
 30〜40くらい散在していたとのこと。

 周辺には、「有賀金山跡」(旧内原町)などもある。



  「木葉下金山」についての資料


    水戸市史
      「木葉下金山は、佐竹氏が経営したと伝えられる金山」
      などと説明。


    研究ノート10号(財団法人茨城県教育財団)掲載の萩野谷悟先生の論文

      寛永17年(1640年)、水戸藩に、
      甲斐黒川の地侍である黒川衆永田茂衛門、勘衛門父子が招かれ、
      その勘衛門が藩命で書き上げた

           「御領内御金山一巻」(1692年) には「あぼつけ金山
      の鉱山名が記されている。


      この地域は、戦国時代の佐竹氏の支配下にあり、「新編常陸風土記」(1899.1901年)にも
      小字名の「金山〜かなやま」について

           「佐竹氏の領地たりしとき、金をこの地に堀りしという、水戸義公(徳川光圀)また銀をとる、
            故にこの名あり」

      などの説明があることから、
      「木葉下金山」は、佐竹時代に開発され、以後、金の産出量が減少し、
      銀が主流になっていったものと推測される。


      同論文では、「木葉下金山」付近の方が所有している「石臼」の調査研究もあり、同石臼は、
      江戸時代初期以降の「リンズ型」である、などと説明しています。





  A津先生の案内で、弁天池へ
  
    木葉下金山跡の、説明板に書かれた、
    比重選鉱に使用されたという「弁天池」

  金山交差点を曲がって、すぐ近くの
  右手に見える杉の木立が目印です。
 

  池の中島には、
     金生山厳島神社(銭洗弁天)
  が建てられている。
 
  上記論文では、
  「山号からも、金山に関係したものと思われる」
  と説明している。

                      4月14日撮影



          湧水の小さな池です。
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