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| 2006/6/11 UP |
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茨城(常陸)の金山遺跡の一つの
「久隆金山」(くりゅうきんざん)
を訪ねてみた。
参照〜主要金山位置図(bP5)
萩野谷悟先生論文〜領域の研究掲載の
「茨城の金山遺跡」添付図
現場の位置は、旧山方町(現常陸大宮市)の
JR水郡線「下小川駅」近くを流れる
久隆川の上流。
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| 下小川駅(JR水郡線) |
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「久隆金山」に向かう県道の先の山道は、
栃原金山(旧手古屋金山)のある大沢地区に
通じている。
しかし、現在は道が荒れ、
車では、栃原金山までは通行不能とのこと。
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この久隆地区には、
金山跡が無数にあると言われている。
地元の方の案内で、
佐竹時代からの、古い金山跡を訪ねてみた。
金山への山道は、やぶ状態で荒れている。 |
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佐竹時代からの金山と伝えられている
「久隆金山」跡 |
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山林は荒れ、
佐竹時代の「久隆金山」跡は
その姿を消してしまうばかりの
状態になっている。
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「久隆金山」の資料について
山方町史(上下巻)
旧山方町(現常陸大宮市)の「館、舟生、盛金、久隆」の各地区には、旧坑が残っていて、
佐竹時代から、金の採掘が行われていたといわれている。
元禄5年(1692年)に、金堀勘衛門(二代目永田茂衛門)が
水戸藩領内の金、銀、鉄、銅などの産地を調査して書き上げて、提出した
「御領内御金山一巻」
には
「九里宇金山」(久隆)
の鉱山名が記されている。
また、
昭和7年には、新潟県の星野俊之が久隆沢で金山を経営し、
同14年には大日本鉱業株式会社が引き継ぎ、工員100人を使用して盛大であったが、
太平洋戦争勃発とともに閉山した
などの説明がある。
この町史から、
久隆地区の戦前の金山は、大沢における「塩沢金山」と同様に
大規模であったことがわかる。
その戦前の金山の作業場跡の石垣が、上記「久隆金山」跡より北側にあり、
地元の方は、
戦前は、「秋田県、長野県」などから、100人くらいの堀り師が久隆に来て
金山で働いていた
と話していた。
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また、町史には、戦後も一時、
久隆の金山採掘が行われたが、
永続きはしなかった
と説明がある。
、
昭和50年代前後に稼働していたという、
金山採掘のプレハブの作業小屋だけが
今も残っている。 |
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追加写真 「久隆川沿いの風景」
今回、初めての久隆地域でしたが、
訪れる人も少ない、ひっそりとした山間地で、
このような風景に出会うと、
営々と続いてきたであろう
この地域の営みを感じます。
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