金山遺跡(11)  仏沢金山
                                            2008/2/3
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     「仏沢金山」は、大子町の太郎山の東側斜面の仏沢上流部に位置する。

     付近の金山としては、太郎山南側に「塩沢金山」、北側には槐沢の「国地(小久慈)金山」、
     その他に「手古屋金山(栃原金山)」「久隆金山」などがある。

     徳川時代初期の1640年(寛永17年)ころに、水戸藩に招かれた
     黒川金山衆の永田茂衛門、勘衛門親子は、佐竹金山坑の再興にあたっていたが、
     閉山に追い込まれる金山も目立つようになっていた。
     
     1692年(元禄5年)に藩命を受けて、
     子勘衛門が水戸藩の領内の金山の実状などをまとめた
     「御領内御金山一巻」には

         塩沢金山は、34.5年前(17世紀中ごろ)まで、金掘衆が集まりにぎわった。
         現在では6.7人が農民となり残っているにすぎない。
         近くには仏沢金山、久隆金山、手古屋金山がある。
         100両の資金があれば開発できる。
     
     などと、有望な金山の一つとして「仏沢金山」も含め書いてあるが、
     佐竹時代の活発な金山開発に比べて、徳川の時代の開発は盛んではなかったとみられる。

                       参考資料 領域の研究〜茨城の金山遺跡(萩野谷悟)
                              図説永田茂衛門親子と三大江堰

                       Yahoo!地図(太郎山周辺)



  仏沢金山へは、
  大子町の上小川地区の
  久慈川にかかる上小川橋を渡り
  すぐ右側の山道を入っていく。

  この山道は、
  森林伐採のための専用道路であり
  一部このように荒れた路面のところや、
  急峻な谷側にはガードレールなどはなく、
  路肩に不安もあり、通行はおすすめできない。
  
  
 
  
   山側の露頭も頁岩などがむき出し状態で、
   道路には落石も多い。
   森林伐採の大型車両も通過していく。

   

  道路は、6〜7キロくらい先の
  
杉伐採の現場で通行止め。
  
   途中の仏沢金山跡。
   
   ズリで固められたような山道。
   
   
    
  仏沢金山は、明治以降に再興されたという
  資料や、地元でこの金山を知る方が
  見あたらないことから、
  
  この埋もれた仏沢金山跡は、
  数百年前の佐竹時代、徳川時代初期の
  ままなのだろうか。
茨城の金山
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